ザックランドルフの生い立ち

ケイ素
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ザックランドルフが引退記念したので 正月早々彼の生い立ちを追ってみました。2001-2002年あまり注目されずドラフトされた彼がブレイザーズで活躍し、神と例えられるまでの足跡を負ってみました。

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父親を知らないザックランドルフの生い立ち~

父親を知らないザックランドルフの生い立ち~

ランドルフの母親、メイランドルフは、男性の力を頼ることなく彼と彼の3人の兄弟、ケリー、ロジャー、トミカ を育てました。彼女は長男に忠誠心と愛を信じるように教えました。 ランドルフ家は貧乏であり、ザックランドルフは幼少期の大半を福祉で過ごした。その生い立ちの為か 正確は「無愛想」 だったようです。また、同じジーンズを毎日毎日、学校に通っていました。新しい洋服欲しさに万引きを試み、逮捕されてしまい、少年拘禁で30日間過ごしました。

インディアナ州マリオン高校時代

彼は「マリオン高校」で学び、この時コーチのモー・スメドレーに「NBA」でプレーする決意を伝えたと言われています。彼は汚い仕事をするためのコツを先輩たちから見出し、リバウンド、ビルドアップ、ディフェンス。そして自信をつけて笑顔を取り戻していったようです。しかし、警察当局は生い立ちの為か常に監視される生活を送っており、ついには2年後に盗まれた銃を受け取ったために少年拘留されました。この銃は後で売ってお金にして家計を助けようとしたそうですが、警察沙汰になるとは想像もしていなかったようです。(まだティーンでしたから浅はかだったのでしょう)ランドルフは問題を起こすような子供だったようですが、バスケットボールで優れていました。

マリオンジャイアンツがチャンピオンに

1998年、彼は2年生のときに、「マリオンジャイアンツ」は「インディアナクラス4Aチャンピオンシップゲーム」に参加しました。 ジャレッドジェフリーズとショーンメイ(後ボブキャッツ)をフィーチャーした ブルーミントンハイスクールノースを破り第7回州立バスケットボール選手権で優勝しました。個人的な評価としては、2000年 インディアナ州のトップ高校バスケットボール選手は、 ジャレッド・ジェフリーズが1位(のちのNBAではランドルフの方が圧倒的な評価でしたが)ランドルフは2位に終わった。そして2人は後に「ニューヨークニックス」とチームメイトとしてプレイしました。

ミシガン州立大学時代

マリオン高校の後、彼は「ミシガン州立大学」に入学しました。そこで、トム・イッツォ監督の下で、そしてチャーリー・ベルやジェイソン・リチャードソンなどのチームメイトとバスケットボールを続けました。 2000〜2001年シーズン、 33ゲームをプレイ 1試合あたり平均10.8ポイント、リバウンド6.7リバウンドの成績でした。「ミシガン州立スパルタンズ」男子バスケットボールチームは、3年連続「NCAAファイナル4」に到達しました。

NBAではブレイザーズへ

メンツは豪華

2001年にオレゴンを本拠地とする「ポートランドトレイルブレイザーズ」2001-2002シーズンドラフト19位で指名、入団しました。(2000-2001の19位はジャマールマグロア、2002-2003の19位はライアンハンフリーズ、2003-2004はアレクサンダーパブロビッチまあ活躍しない選手が多い)

2001-2002 Jail Blazers逮捕やベンチ要因

2002年、彼はポートランドによってNBAに徴収されてから1年以内に未成年者の飲酒で逮捕されました。この頃のブレイザーズは「Jail Blazers」と呼ばれコート外でのトラブルが絶えないメンバーの一人として認識されるようになりました。デイモンスタウドマイヤーは自動車運転のスピード違反とマリファナ所持、ラシードウォレス、キンテルウッズもマリファナ、ラシードウォレスはルーベンパターソンと乱闘騒ぎ、このルーベンパターソンはランドルフとも乱闘騒ぎを起こす血の気が濃いキャラでした。

2002-2003プレーオフから開花!大活躍!

ダラスマーベリックスとのプレーオフでスコッティピッペンを押しのけてスターターに起用されて20得点10リバウンドを記録しブレイクを果たした。

2003-2004の成績が大幅増

ブレイザーズはスランドルフの入団以降、年々成績を下げていました。ランドルフは反対に成績を大幅にアップさせMIPも受賞(ピッペンは衰えていたので若いランドルフの起用は当然かと)この年から主力の放出が始まりランドルフ中心のチーム作りがなされた。放出選手はシーズン中にラシードウォレス、ボンジウェルズ終了後にデイルデイビス、また前年にはスコッティピッペン、アルビダスサボニス、と豪華な移籍選手たち そして契約では6年間で8,400万米ドルの延長にサインしました。

出場成績比較

カテゴリー2002-20032003-2004
ゲームスターター1180
出場時間16.937.9
得点8.420.1
リバウンド4.510.5
アシスト0.52

低迷期。2007はニューヨークニックス2008はクリッパーズそして・・・

2007年はブランンドンロイ、ラマーカスオルドリッチへ切り替える為ドラフト当日の6月28日に「ニューヨークニックス」へ放出される。このドラフトでブレイクグレックオデンを指名、ニックスではエディカリーとインサイドのコンビを期待されたが、ディフェンスしない、パスをしないコンビは機能せず翌2008年11月21日カティーノモーブリーとティムトーマスと交換でLAクリッパーズへ移籍。 2009年2月17日、対ェニックスサンズ戦でサンズのルイスアムンドソンを殴り退場処分に。 そして2009オフシーズンQリチャードソンとのトレードでメンフィスグリズリーズへ席を置くこととなります。

メンフィスでの2009年からは躍進の時

メンフィスでの2009年からは躍進の時

このころからチームプレーヤーとして変貌を遂げることになりブラックホールのあだ名は返上しますが、オフェンススキルは止めようがなくなります。 ランドルフはメンフィス・グリズリーズの顔になりました。彼は間違いなくメンフィスとマリオンの両方で最愛の人物になりました。 彼はメンフィスにとても自然にフィットしているので、多くの人はランドルフが実際に街から来ていると誤解しています。 そうです、かれはマリオンからメンフィスまで通っていたのです。 評価を上げ2010と2013とにはオールスターに選出されました。。同年5月15日プレイオフでは「オクラホマシティサンダー」を破り、フランチャイズの歴史の中で初めて「ウェスタンカンファレンスファイナル」に進出しました。しかし、彼らは「ウェスタンカンファレンスファイナル」で「サンアントニオスパーズ」に敗れました。

日本で『ザック神』と呼ばれる存在に

2010-2011サンアントニオスパーズでの活躍を機に2chでザックランドルフは神とあがめられるようになりました。(試合は第8シードが第1シードを破るアップセット)不思議と手に吸い込まれる神通力と呼ばれるリバウンド。

ポストプレイ

右足を軸としたポストプレイでスペースを作り得点を重ねます。距離を詰めればファールを貰い、離れればシュートを放つお手本の様でも、彼の伸長を考えると何故成功率が高いのか?説明しきれない部分があります。 別段大きくもなく、大して跳んでもいないのにブロックされないゴール下。若干ステップバックしている感じです。ショートフックもタイミングを合わせるのが難しい独特のリズムなんでしょう。

リバウンド

不思議と手の中に吸い込まれるリバウンドが特徴。

ディフェンスリバウンドは、グリズリーズのディフェンスシステム的がザック&ガソルに取らせるものになっていたためですが、オフェンスリバウンドをよく取る最大の理由は、ポジション取りのの上手さ&スクリーンアウトした相手を後ろから飛ばせない様に身体で抑え込む事が挙げられます。それがあるので、ジャンプ力が無くてもリバウンドが取れるのです。シャーロットボブキャッツのアナウンサーは磁石でボールを引き寄せているなんて話していました。

晩年は出場機会を求め サクラメントキングスへ移籍しかし・・・

彼は、2017年7月10日に「サクラメントキングス」と2年間の2400万ドルの契約をしました。2017年12月20日に「ブルックリンネッツ」との試合でキャリアリバウンド10,000回を記録しました。

久しぶりに薬物所持疑惑

36歳になったランドルフは、売ろうとするマリファナを所持している疑いで、 ロサンゼルス警察署に拘留された。 2016年11月にカリフォルニアは娯楽用マリファナを合法化しましたが、州法では最大1オンスの薬物の所持のみが認められており、ライセンスなしでの販売は違法のままです。

「告発は虚偽で誤解を招くものです」とランドルフの代理人兼弁護士レイモンド・ブラザーズは無実を訴えました。結局は同じ集会にいた男は逮捕、ランドルフは放免でした。

そして2018-2019シーズンは出場無し

近年アップテンポ化するNBAの流れもありチーム方針から試合に出られなくなってしまいました。そして・・・

ザックランドルフが引退

この記事を書いた人

整体さん6年目です。好きなNBA選手の生い立ちを書いてみました。

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